婚活マインドフルネス「くじけない」心をつくる
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目次
- どうしたら「くじけない心」をつくれる?
- どうやって「しなやかでくじけない心」をつくる?
- ベックさんの「認知モデル」は仏教の認識論とそっくり
- ベックさんの「認知モデル」とは
- マインドフルネスとは
どうしたら「くじけない心」をつくれる?
どうしたらくじけない心を作れると思いますか?
「強いメンタルを持つ」?
「強いメンタル」があれば、少々の失敗でも、くじけないかもしれません。
そもそも「強いメンタル」があれば「心がくじけない」のであれば、「心がくじけて」しまう方は、「強いメンタル」がないから、「心がくじけて」しまうことになります。
では、どうやって「強いメンタル」を持つのでしょうか?
確かに「強いメンタル」の持ち主と言われる方や、「強いメンタル」をお持ちと感じられる方はいらっしゃいます。
しかし残念ながら、私には「強いメンタル」を持つ方法を考えたことがないので、「強いメンタル」の作り方はわかりません。
より正確に言えば、『「強いメンタル」を持っているといわれる方』のようになることを推奨することが良いととであるとは感じられません。
回りくどい言いかたですね。ご免なさい。
「強いメンタル」は同時に、自分の心の微細な状態を確認することが出来なくしてしまうかもしれず、そのことが結果として周囲の状況への不適応を招くかもしれない、と推測されるからです。
「強いメンタル」よりは「しなやかでくじけない心」をつくる方がいいように感じます。
どうやって「しなやかでくじけない心」をつくる?
「しなやかでくじけない心」をつくる方法1.マインドフルネスで自分の体と心への感受性を高める。
まずお断りしておきますね。仏教のお話をしますが、宗教の勧誘ではないのでご安心を。
マインドフルネスを長年続けているのですが、マインドフルネスは、仏教の認識論を基盤にしているので、マインドフルネスの話をしようとすると、仏教の認識論を説明せざるを得ません。
四聖諦は、
そもそも何が苦であって
何が苦の原因であって
どうすると苦がなくなるか
こうすれば苦はなくなるのだな、実践しよう
これらのことは、自分で瞑想してみて、自分で見つけて、実践しなさい
そうすれば、私(釈迦)と同じ悟りに至りますよ!というのが釈迦の教えだったからです。
(余談ながら、カウンセリングに携わるものとしては、釈迦の方法は「クライエントの主体性を重視する」カウンセリングの方法論と重なって見えます。)
少しわかりやすく言い換えると、
なあんだ、すごく時間がかりそうだし、大変そうだし、仏教の修行なんかしたくないし、とお考えのあなたに、吉高さんふうに
「しなやかでくじけない心」は、「認知モデル」を理解して、心が苦しむメカニズムを知り、そのメカニズムに働きかけて、自分の考え方を変えれば、比較的容易に手に入ります。
「無理やり自分の考えを変える」のではありません。
「心ってこういう風になりがちだよね、それはこういうメカニズムがあるからだよね」
「だったらこういう風に心掛けたら、心が苦しくなくなるんじゃない」
「マインドフルネスで、体と心のへの感受性を高めるとより効果でそうだよね」
ということになります。
ベックさんの「認知モデル」は仏教の認識論とそっくり
私自身の経験からも、ベックさんの「認知モデル」とそれに基づく「認知行動療法」は、仏教の認識論(マインドフルネスの基礎)とそっくりです。そうすると、その「嫌な感じ」は、自分の将来への否定的な心の中の「つぶやき」から生じたもののように思われたので、その否定的なつぶやき」を「そうと決まったわけではない」と修正しました。
そしてとても大事なことは、いったんこの経験をしてからは、「自分を苦しめる考え」をみずからつぶやかなくなくなっただけでなく、外部の情報に接したときに、「自分を苦しめる考え」をしないように、意識的にコントロールするようになったことです。
すでにお話しした、下記の私の四聖諦の理解は、この時出来上がったものです。
私が「四聖諦」と感じた「心の変容のプロセス」はベックさんの「認知モデル」と「認知行動療法」そのものでした。
ティーズデールさんは、「認知療法の原理と実践をマインドフルネスの枠組みの中に統合した」マインドフルネス認知療法を創始した方の1人です。
「Johnは、Sumedhoが述べた仏教による苦悩の分析の核心部にあるアイデアと認知療法の基本的仮説の類似性に衝撃を受けた。両方のアプローチが、私たちを不幸にするのは経験そのものではなく、(仏教分析では)私たちの経験との関係または(Beckの分析では)私たちの経験の解釈であることを強調していた。また仏教のマインドフルネス瞑想の中核が、思考として(つまり、「真実」や「私」としてではなく、精神的事象として)思考と関係していくことの習得を含むことも明白であった。人はこうすることで、自分の行動をコントロールしたり、不幸な心の状態を作り上げる役に立たない思考パターンの影響から自身を解放できるのだ。」「マインドフルネス認知療法原著第2版うつのための基礎と実践」(M・シーゲル、M・ウィリアムズ、J・ティーズデール著 越川房子訳 北大路書房)
仏教の認識論と、ベックさんの「認知モデル」に共通する考え方は「心に生起するものが真実とは限らない」ということです。
この訓練により、「心に生起するるものが真実とは限らない」という考え方を体得します。
ベックさんの「認知モデル」は「非機能的な自動思考」つまり現実的でない考え方、わかりやすくいえば真実とは言い切れない現実認識が、気分の低下、行動の減少、身体への影響を生み出す、と考えます。
だから、現実的で適切な現実認識(結果として自分の気分を低下させない現実認知)へと修正してゆくことで、気分の低下、行動の減少、身体への影響を改善してゆくことができるというものです。
双方とも、自分の心に生起する思考やイメージが、真実とは限らない、より適切、妥当なものの見方をすることで、悩み苦しみはなくなる、という点で共通しています。
認知行動療法と、仏教の認識論に基礎をおくマインドフルネスは、きわめて親和性があると言えます。
ただしマインドフルネスが、仏教の認知論、方法論をどこまで取り込むか?ということには留意する必要があります。
なぜならば、テーラワーダ由来のマインドフルネス、ヴィパッサナー瞑想は、解脱に到達することを目的として、解脱に向かって行うことが想定されているからです。
それゆえ「学習して知識を得る」のではなく、瞑想して「自らが経験して」「仏教の認識論を体現する」という方法を取ります。
当然マインドフルネスもこの考え方に立ちます。
言い換えれば、解脱を目指すなら本来のやり方をやればよい、ということになります。
しかし、「くじけない心」を作るなら、「くじけない心」を作ることに目的を置いて行う必要があります。
マインドフルネスと認知行動療法を組み合わて応用すると、
「心ってこういう風になりがちだよね、それはこういうメカニズムがあるからだよね」
「だったらこういう風に心掛けたら、心が苦しくなくなるんじゃない」
ということになるのです。
ベックさんの「認知モデル」とは
ジュディスさんの「認知行動療法実践ガイド」から引用します。『「認知モデル(cognitive model)」が提唱するのは、端的にいうと、すべての心理学的問題の背景には非機能的な思考が共通してみられる(そしてそのような思考がクライアントの気分や行動に影響を及ぼす)ということである。自らの思考をより現実的かつ適応的に検討することが出来るようになれば、その人のネガティブな感情や行動が改善されるだろう。』
『認知行動療法は認知モデル(cognitiv model)に基づく。認知モデルとは、人の感情、行動、身体は、出来事に対するその人の理解の仕方によって影響を受ける、という仮説である(出来事には、「試験に落ちる」といった外的なものもあれば、「身体の苦痛な症状」といった内的なもののある)。つまり、人の感じ方や行動を決定するのは、状況それ自体ではなく、状況に対してその人がどう解釈するか、ということである(Beck1964;Ellis1962)』
ちょっとわかりにくいかもしれません。
私が「四聖諦」と考えた経験を「認知行動療法」の考え方から説明します。
そうすると、その「嫌な感じ」は、自分の将来への否定的な心の中の「つぶやき」から生じたもののように思われたので、その否定的なつぶやき」を「そうと決まったわけではない」と修正しました。
それによって胸のあたりの「嫌な感じ」は消えてしまいました。』
⇒認知行動療法では「気分の低下」と言います。
『自分の将来への否定的な心の中の「つぶやき」』『胸のあたりに「嫌な感じ」がした。』
⇒認知行動療法では、「非機能的な自動思考」により、気分の低下がもたらされた、と説明しますが、まさにその通りでした。
『その否定的なつぶやき」を「そうと決まったわけではない」と修正しました』
この経験の後、私は「非機能的な自動思考」を検知することが容易にできるようになりました。
さらには外部の情報に接した時に「非機能的な自動思考」につながらないよう意識することも出来るようになりました。
本来、認知行動療法は、セラピストとクライアントとの協働作業(治療同盟といいます)により行うものです。
マインドフルネスとは
私的な理解ですが、一般的にマインドフルネスは、仏教の認識論に基盤をおき、禅の考え方に範をとった、自己啓発、セラピーであるようです。ただし、禅(大乗と自称)であれ、テーラワーダ(大乗から小乗と貶称されました)であれ仏教の根底にある認識論は変わりません。
私は座禅を10年ほどやって、その後「マインドフルネス」に乗り換えました。
⇒体の感覚をみる「受の随観」では、感覚を「苦」「楽」「不苦不楽」と認識します。私は「苦」とラベリング(言葉にして確認する)しました。
『その「嫌な感じ」は、自分の将来への否定的な心の中の「つぶやき」から生じたもののように思われた』
⇒心を観る「心の随観」かもしれませんし、そうでないかもしれません。いずれにしても、「嫌な感じ」の原因を自ら突き止めたことになります。
『その否定的なつぶやき」を「そうと決まったわけではない」と修正しました。それによって胸のあたりの「嫌な感じ」は消えてしまいました。』
⇒これを見て私は「四聖諦」を「こういうものか」と考えました。もしこれが「四聖諦」ならば「法の随観」を体現した(経験した)ことになります。
「あなたの心をくじく自動思考」が特定できたら、認知行動療法の方法論により、「あなたの心をくじく思考」が現実的なものかどうかを検討し、現実的でないものであれば修正してゆくことが出来ます。
さらに「あなたの心をくじく思考」を日常的に特定することができて、修正することが出来るようになったならば、あなたの「心がくじける」ことは少なく、もしくはなくなります。
具体的な進め方は、個別のカウンセリングになろうかと思います。
こちらも無料でもいいのですが、無料だと「結婚相談所への入会を勧誘されるのではないか」と懸念されるかもしれませんので、費用はご相談とさせていただきました。カウンセリングは1回50分が基本単位になります。