成婚するために必要な2つのこと
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目次
- 1.成婚する人しない人
- 2.成婚するために必要なことは何でしょうか?
- 3.成婚するための「機能的な考え方」
- 4.1つ目は「自分」についての「機能的な考え方」
- 5.2つ目は「お相手」についての「機能的な考え方」
1.成婚する人しない人
成婚された会員様数
2023年成婚者数は13,516名(IBJ会員)です。
成婚した人の割合
2024年8月時点のIBJ登録会員数は94,022名ですので、2024年8月時点の会員様数に対する2023年の成婚者の割合は14.37%になります。
2023年成婚者数を8月末時点の会員数で割っただけですので、これから活動される会員様個人の成婚率が14.37%ということではありません。
登録会員数は、退会(成婚・非成婚)と新規入会により随時変動しますので、厳密な成婚率の算出はできません。厳密に算出できないのは合計特殊出生率と同様です。
また、登録はしているものの活動されていない方もいらっしゃる(人数未開示)ようですので、活動している会員様数に対する成婚者数の割合は、理論上はより高い数字になります。
ご入会者の全てが成婚するわけではない
ということは残念ながら事実です。
結婚を希望されて入会されるのですが、「成婚する人」「しない人」に分かれてしまいます。
成婚する人しない人の違いは何なのでしょうか?
成婚するために必要なことは何でしょうか?
2.成婚するために必要なことは何でしょうか?
心理学者がくれたヒント
『幸福な人生を歩む人のライフスタイル(=性格)は、必ず「コモンセンス」と一致している』という言葉が、ヒントになりそうです。
(「アルフレッド・アドラー人生に奇跡がおこる100の言葉」小倉広著より)
たまたま見つけたわけではありません。
アルフレッド・アドラーは、敬愛する心理学者なので、目に付いた本は手に取ってみるようにしています。
アドラーの言葉は、人間心理に対する深い洞察に満ちています。
アドラーは一派を構えず、後継者がいませんでしたので、一般にはあまり知られていません。
しかし後世の心理学者に多大な影響を与えています。カウンセリングを学ぶと、ここはアドラーの考えに由来するのでは、と感じることが時々あります。
「コモンセンス」とは
小倉広さんは「コモンセンス」を、「共通感覚」、コモン(共通)なセンス(感覚)、つまり「個人にとっても組織や家庭になどにとっても、ともに受け入れられるような意味付け」と説明しています。
「性格」は「認知・考え方」
「性格」の部分は「認知・考え方」とした方が、理解しやすく、また適切な理解が可能になるように思います。
言い換えるてみると、『幸福な人生を歩む人のライフスタイル(=考え方)は、必ず「コモンセンス」(=個人や社会、家庭で受け入れられる意味づけ)と一致している』となります。
ただし「自分の考えを、社会の共通感覚に合わせれば幸せになる」ということではないように思います。
幸せは社会のためではなく、あなたが感じる幸せでなければ意味がないからです。
ご自身のしっかりとした考え方があって、その考え方がコモンセンスと大きく食い違わない、ということが大事になってくるのではないかと思います。
コモンセンスと一致しない行動と考え方
まれなケースですが、時々出くわします。
その人が幸せかどうかはわかりませんが。
たとえばこういう人です。
ある人がミスをしたとして、その「関係者」として、迷惑を受けた立場から、わざわざ人前でそのミスを責めるたてます。
その「関係者」は、ミスによって迷惑をうけたという立場を最大限利用して、人前でミスした人をつるし上げるのです。
ではなぜこのようなことをするのでしょうか?
推測になりますが、わざわざ人前でそれをするということは、人目を意識してのことでしょう。
人目を意識しているのは、1つには自分の力を誇示したい(相手はミスした人であり、自分は迷惑を受けた立場、という相手の反撃の可能性が少ない、自分は相対的に安全な立場で)、それによって快の気持ちを感じたいという欲求があるのかもしれません。もしくは日ごろのうっぷ晴らしでしょうか。
2つ目は、このような行為が、自分の周囲からの評判をおとしめることになる、とは考えていないから、あえて人前でそのようなことをすると考えられます。
むしろ、自分は周囲の人の考えを代弁しているのだから、自分の言い分はもっともだと周囲の人が同意してくれて、自分に敬意を払ってくれると期待しているのではないか、とさえ思われます。
推測ではありますが、このように考えないと、わざわざ人前で、これ見よがしに人を罵倒することの説明がつきません。
あなたがその場にいたとして、あなたはこの人に敬意を抱くでしょうか。
私は好意も敬意を抱きません。
むしろこのような状況であれば、責められている人に助け船を出すかもしれません。
あなたも程度の差こそあれ、私と同様のことをお感じになると思います。
つまりその「関係者」は、自分のおかれた状況を最大限利用して自分の力を誇示したのですが、周囲の人から得ることを期待した敬意は得らなかった、ということになります。
アドラーさんの示した考えによれば、その「関係者」の「ライフスタイル」と周囲の人の「共通感覚」が一致していなかったため、その人は期待するものを得ることができなかった、というふうに理解することができます。
「機能的な考え方」ではなかった
その「関係者」の「ライフスタイル」=「考え方」が、その人の求めているものを手に入れるためには「機能的な考え方」ではなかった、ということもいえいます。
前記の本の中で、小倉さんは、アドラーがコモンセンスと対比する形で「私的論理」という言葉を使っていると紹介しています。
「私的論理」とは「個人にとってしか受け入れられない、共同体では受け入れがたい意味づけ」と説明しています。
その「関係者」の「ライフスタイル」=「考え方」は、「私的論理」であり、「共同体(=周囲の人)では受け入れがたい意味づけ」であったため、自分の力の誇示はできたかもしれませんが、自分が求めている周囲からの敬意を手に入れことが出来なかった、つまり、周囲からの敬意を手に入れるためには「機能的な考え方」ではなかった、ということになります。
3.成婚するための「機能的な考え方」
「機能的な考え方」という観点
自分自身の希望と、社会の共通感覚を合致させる一つの方法は、自分自身の考え方を「機能的な考え方」であるかどうか、という観点から考えてみることがよいのではないかとかと思います。
「機能的な考え方」とは、あなたの希望を「実現できる考え方」、あなたの希望を実現するために「効果的な考え方」ということです。
どんなにあなたの欲求が強くても、「社会の共通感覚とはあまりにかけ離れた考え方」に基づいて行動したのでは、求めるものは手に入れにくいでしょう。
あなたの考え方が、あなたの希望を実現するために役立つ「機能的な考え方」になっているかどうか点検してみる、ということです。
言い換えると「機能的な考え方であるかどうか」という定規を当ててみて、あなたの考え方が、あなたの希望の実現に近づく方法であるかどうかを考えてみましょう、ということになるでしょう。
定規を当ててみるものは、2つあります。
「自分」についての考え方と「お相手」についての考え方です。
「お相手について」ではなく「お相手についてのあなたの考え方」という点にご注意ください。
もし「機能的でない考え方」をしていたとしても「機能的な考え方」に変えるのはそんなに難しくありません。
4.1つ目は「自分」についての「機能的な考え方」
「機能しない行動」と「機能的でない考え方」「機能的な考え方」は「機能する行動」を生むとするならば、「あなたの希望=結婚を実現するために「機能しない行動」、言い換えると、成婚に向けたあなたの行動を制限、制止する方向に働く考え方は「機能的でない考え方」ということになります。
もしあなたが「機能しない行動」をとっているのであれば、「機能しない行動」を生み出す「機能的ではない考え方」を持っていることになります。
「機能しない行動」の例をあげて、その行動を生み出す「機能的でない考え方」を考えてみましょう。
「機能的でない考え方」は、機能的でないことをご理解いただければ比較的容易に修正できます。
(1)理由をつけて活動しない
活動しないと当然成果はありません。
登録はしたもののシステムにログインしない、お相手探しをしない、ログインしてもお相手探しをしない、お見合い申し込みをすることがない・・・。
活動しない理由は2つ推測されます。
1つ目は、結婚に対して明確な意志がない。
友達と遊んでいたり、自分の趣味に時間を費やしていることに、結婚、婚活よりも価値を見出している、ということが考えられます。
独身の方にお話を伺うと、結婚したくないわけではないけれどと言いながら、こういう考えをお持ちの方はやはりいらっしゃいます。
『人生には3つの課題がある。
1つ目は「仕事の課題」
2つ目は「交友の課題」
3つ目は「愛の課題」である。
そして後方になるほど解決は難しくなる。』
(小倉広さん前掲書より)
恋愛、結婚は、実は難しい課題ということになります。
3つ目の愛の課題は、婚姻率の下がっている現在こそ、アドラーさんがいう難しさがあるように思います。
自分の結婚観を明確にすることが必要かもしれません。
2つ目は、結婚への明確な意思はあるものの、イメージがわかない、うまくいくかどうか不安で、行動につながらないといったもの。
このような方は、結婚へ希望が強いがゆえに、とても大事(おおごと)に考えていらっしゃるのかもしれません。
「結婚したいから、失敗したくない」という考えや、「うまくいかなかったらどうしよう」といった考え方が、行動を制限してしまっているのかもしれません。
もし「結婚したいから、失敗したくない」という考え方や、「うまくいかなかったらどうしよう」といった考え方が、行動につながらない原因であるならば、その考え方は、行動を制限する結果を生み出しているので、「機能的でない考え方」ということになります。
「機能的でない考え方」を「機能的な考え方」にする必要があります。
この場合の機能的な考え方は、
「失敗したくはないが、活動しないことには結婚につながらないから、慎重になりすぎずに、とりあえず活動してみよう」
「活動しないことには出会いもないので、最初は練習のつもりでやってみよう」
「初めて婚活に本格的に取り組むのだから、最初からうまくいかなくて当たり前、うまくいったならラッキーくらいに考えよう」
といったものになります。
(2)お見合いを申し込まない
IBJ成婚白書のデータでも、成婚退会された方は、成婚されずに退会された方よりもたくさんお見合をしています。
お見合いをたくさんした方が、ご希望のお相手への出会いの確率は高まります。
出会いの確率が高まれば、交際に進む確率が高まります。
交際に進む確率が高まれば、ご成婚に近づきます。
やはり成婚のためには、お見合いを申し込む必要があります。
お見合いの申し受けがたくさんあって、お見合いが十分組めるのであれば、自らお見合いを申し込まなくても、それはそれでよいでしょう。
とはいえ、申し受けでお見合いを組めても、交際に進める「条件に合う方」からのお申込みでなければ、成婚には近づきません。
やはり、ご自身が「この方なら会ってみたい」という方にはお見合いを申し込んだほうが、成婚には近づくと考えた方がいいでしょう。
もしも「お見合いを申し込んで断られたらいやだから、申し込まない」という考え方があるのであれば、この考え方は、「お見合いを申し込まない」という「機能しない行動」を生み出すので、「機能的でない考え方」ということになります。
この場合の「機能的な考え方」は、
「お見合いが組める割合は、申し込みに対して平均で約6%、15回お見合いを申し込んで1回成立、14回は断られることになる。平均は平均なので、平均以上の人もいるし、平均以下の人もいる。私は私、断られることにくよくよする必要はない。」
「お見合いを断られたからといって、私が結婚できなないことが証明されたというわけではないし、断られたことによって私の魅力がなくなる、ということではない」
ということになると思います。
もしご自身に「お見合いしてもらえる自信がない」「うまくできるだろうか」「うまくいかなかったらやっぱり自分は、結婚できないということになる」「自分がいやな思いをするのであれば、活動しない方がいい」という感じ方・考え方があるのであれば、その感じ方・考え方を修正してゆく必要があります。
感じ方・考え方の修正はそんなに難しいものではありません。
『自ら代わりたいと思い努力をすれば、ライフスタイルを変えることは十分に可能だ。』(小倉広さん前掲書より)
認知行動療法の認知モデルをご理解いただければ、納得性は高くなると思いますし、納得性が高くなれば、修正はより容易になります。
(認知行動療法の考え方と認知モデルは、この項目の一番下に記載するURLをご参照ください)
もちろん、このようなカウンセリングも事前相談として無料で提供いたします。
でも誤解しないでくださいね。
カウンセリングは、あなたの「あらさがし」ではありません。
カウンセリングは、あなたが「うまくいかない、どうしたらいいの?」と感じていることを、カウンセラーと一緒に解決する方法を考える時間と場所です。
ですから「うまくいかない、どうしたらいいの?」と感じても、答えを探さない人は、ほんとうにもったいないと思います。
カウンセリングについては、下記URL『「安心できる」カウンセリングを体験しませんか』をご参照ください。
https://www.ibjapan.com/area/tokyo/49546/blog/125228/
下記URLは、ストレス低減のカウンセリングについて書いたものですが、認知行動療法の考え方と認知モデルについても説明しています。ご参考までに。
https://cometolife-kekkon.jp/staffblog/stressmanegement/
(3)好みの相手がいない(わからない)
好みの相手がいないので、お見合いを申し込まない、好みの相手がわからないので、お見合いを申し込まない、という行動です。
この場合はお見合いを申し込まないという「機能しない行動」が生じているわけですが、この場合の「機能的でない考え方」は、「好みの相手がいない、わからない」ということに焦点を当てる必要があります。
「好みの相手がいないのだから、しかたないでしょ」は、もっともな理由のようですが、「機能的でない考え方」であることに変わりはありません。
「好みの相手がいなければ、結婚はしない」という明確な考えがあるのであれば「好みの相手がいないのだからしかたないでしょ」という考え方は、「機能的な考え方で、お見合いを申し込まないのは「機能する行動」といえます。
しかしこの考え方から生まれる行動は、確実に成婚確立を下げます。
「それでもいい、好みの人と結婚したいのだから」が、あなたのお考えであれば、あなたのお考えですから尊重いたします。
①「好みの人との結婚」だから「幸せな結婚」となるとは限らないかもしれない。
想像のなかでは「好みの人との結婚」は「幸せな結婚」と「イコール」ではあるでしょう。
「幸せな結婚」を重視するのであれば、会ってみて(お見合い、プレ交際)をしてみて「自分の好み」と「会ってみた自分の感想」の双方から、お相手と「幸せな結婚」生活を送れそうかどうか判断するのが「機能的な考え方」ということになるでしょう。
「幸せな結婚」は「好みの人との結婚」とは別に存在するかもしれません。
別い言いかたをすれば「好みの人というわけではなかったけれど、会ってみたら好印象だった。プレ交際に入って人柄がわかるにつれて好きになった」ということであればそれは「幸せな結婚」に近いづいていると思いますし、良い出会いであるように思います。
もちろん「好みの人にこだわってはいけない」などというつもりは「まったく」ありません。
「好みの方」と結婚して幸せになっていただきたいと、強く願っています。
「結婚したい気持ちはある」と「結婚に肯定的でない」という考えが混在することも十分あるうるでしょう。
この場合は「好みの人」よりも、「結婚に対してなぜ肯定的でないのか」ということを考えることが良いように思います。
もちろん無理に結婚する必要はありません。
③また、このようなことも考えられれます。
「好みのお相手」が「(友達や親族に)自慢できるお相手をゲットした自分」「自分が誇らしく思えるお相手をゲットした自分」というイメージとともに生じている「願望」である場合は、すこしご自身の気持ち、お考えを整理し直す必要があるかもしれません。
もし仮に、このようなイメージが強い場合、「目的」は自尊心を満足させること、「手段」は「自慢できるお相手をゲットすること」ということになります。
このような場合「自慢できるお相手をゲットすること」>「成婚」となる可能性はあります。
でも、あまり気にしないでください。
人間は「自分の欲求」を満たすために行動するので、このような「目的」「手段」の発想はごく普通に起こることです。
可能性、ということになりますが、あまり周囲からご自身の良いところを認めてみらえず(良いところがあるのだけれど、言葉でわかるように言ってもらえなかった)、自分を認めてもらうことに強い欲求があるのかもしれせん。
強い欲求があると、心が安らがないので、この章の最後の方でご紹介している『「自分が自分に許可する」という方法』が、心を楽にするお役に立てるかもしれません。
自分を厳しく不親切に扱うのではなく、自分を親切と思いやりをもってケアすることが有効なように思います。
もちろん、どのような動機からの婚活も十分にあり得ますし、私や周囲がとやかく言うことではありません。
④自分の「好み」がわからない
自分には「好みのタイプは今のところない」というところから出発して、少しでも興味をもった方に、お見合いを申し込み、会ってみて「自分の好み」を少しづつご、自身で認識してゆくという、作業を行えばよいように思います。
その方の「どこに興味をもったか」「会ってみての印象、感じはどうだったか」を、丹念に追ってゆけば、おのずと自分の「好みのタイプ」は明確になるでしょうし、そうでなくても、その過程で出会ったお相手に魅かれるようになることもあり得るかもしれません。
そこで意識してもらいたいことは、お見合いの成立は、申し込み数に対して約6%くらい、ということです。
あなたの希望通りには進まないこともあります。
恋はあなたの希望を必ず裏切ります。良いほうにも悪いほうにも。
私のお話は「このような考え方もありますから、いろいろな観点から考えて、後悔しない選択、後悔のない婚活をしてください」という、少し余計なおせっかいにすぎません。
コーチはコーチングしかできません。
バッターボックスに入ってホームランを打つものあなたなら、三振するのもあなたなのです。
「欲しいものを求めることを自分に許していない」ことが「機能的でない考え方」の原因かも
「機能的でない考え方」をしてしまう要因の一つとして「自分が欲しいものを手に入れて、幸せになることを自分に許していない」というような、通常は意識することのない認知・考え方(ライフスタイル)があるのかもしれません。
自分が幸せになることを自分に許していない人、自分の願いをかなえることを自分に許していない人もいます。
たとえば、謙虚すぎる人、控えめすぎる人、要求してもよいことを要求できない人、周囲の評価を気にしすぎる人。
これらとは反対に、自分を大きく見せようとする人、自分の自慢話が大好きな人、些細なことに腹を立てる人、大声を出して怒りを表現する人なども、自分が幸せになることを自分に許していない可能性があります。
謙虚すぎる人、控えめすぎる人、要求してもよいことを要求できない人、周囲の評価を気にしすぎる人は、「自分にはそれを得る価値がない、要求する価値がない、要求しないほうがいい」という考え方を無意識のうち持っているのかもしれません。
自分を大きく見せようとする人、自分の自慢話が好きな人、些細なことに腹を立てる人、大声を出して怒りを表現する人などは「自分は認められていない(欲しいものが獲得できていない)、もっと自分は認められてしかるべきだ、自分を認めさせなければいけない(欲しいものを獲得しよう)」という考え方を無意識のうちに持っているかもしれません。
今回はアルフレッド・アドラーさんにヒントをもらいましたので、小倉さんの本から、ここでも引用させてもらいます。
つまり10歳くらいまでに自分で形作ったライフスタイルを、大人になっても使っている人がたくさんいるらしいのです。
子供のころに親からのしつけが厳しく、あれをしてはいけない、これをしてはいけないと言われ、自分が親に認めてもらっている、受容されている、という感覚を体感できなかった場合には、両親の言いつけを守って、自分のやりたいことや希望を追求しないことによって両親に受容してもらうという適応戦略(コーピング戦略とも言います)を取ることになります。
その結果、大人になった現在でも「欲しいものを求めない方がいい」というコーピング戦略を取りがちになってしまい「欲しいものを求めない方がいい」という「機能的でない考え方」「機能しない行動」に陥ってしまうことがある、ということも考えられます。
また、アドラーさんはこうも言っています。(小倉さん前掲書)
「自分を大きく見せようとする人、自分の自慢話が大好きな人、些細なことに腹を立てる人、大声を出して怒りを表現する人」は、大人になっても子供のころのコーピング戦略を使用しているから、感情に訴えているのかもしれません。
ちなみに認知行動療法の認知モデルでも、同様に、幼少期または幼少期と幼少期に続く時期に、中核的な信念が作られ保持されてゆくと考えています。
認知モデルでは、「機能的でない」中核信念を潜在的にもっている場合には、環境要因(強い心理的負担、ストレス)等により「機能的でない」中核的を含む認知構造が活性化すると、機能的でない「自動思考」を生みだし、「機能的でない」自動思考が、感情的な困難や身体反応、機能的でない行動をもたらすと考えます。
『自ら変りたいと思い努力をすれば、ライフスタイルを変えることは十分に可能だ。』(小倉広さん前掲書より)ということはすでにお伝えしました。
認知モデルでも、「機能的でない」中核信念を変えることはできます。
もしあなたに、多少なりとも思い当たることがあるのであれば、カウンセリングはあなたの手助けになるかもしれません。
「自分が自分に許可する」という方法
カウンセラー宮崎は、15年以上ヴィパッサナー瞑想(マインドフルネス)をやっています。
①ヴィパッサナー瞑想に必要な集中力を高めるため
②自分が幸せであることを願い、自分が幸せであることを願うのと同じ気持ちを他者にも向けるようにするため、です。
実は②が、なかなか難しいのです。
「自分が幸せであることを願う」ということは、実は簡単なことではありません。なぜかというと、
①自分は幸せであってよい
②自分は幸せであることを求めてよい
③自分は幸せでいることができる
④自分は幸せであることを心から望む
⑤自分は幸せになるように考え、実行する
以上のすべての考え方を必要とする行為だからです。
アドラーさんの言うようにライフスタイル(認知・考え方)は10歳くらいまでに形作られること考えると、10歳くらいまでの体験から、
「①自分は幸せであってよい」
「②自分は幸せであることを求めてよい」
「③自分は幸せであることを実現できる」
という認知・考え方を持っていない人もいる、ということは十分にあり得ます。
幼少期に「やりたいことをやってはいけない」「いつも我慢していないと両親に受け入れてもらえない」というふうに考えていて、現在でも「周囲から受け入れられるためには、我慢することが必要」というコーピング戦略をとってきたとすれば、①②③の認知・考え方が形成されないのは自然なことです。
慈悲の瞑想により集中力は高まるのですが、他者に幸せであることを押し広げようとするとどうも、気持ちが伴わないのです。
そこで気づいたのが、自分には上記の①②③が無いようだ、ということでした。
そこで瞑想する文言を少し変えました。
その文言の一部を紹介します。
私は幸せでありますように
私は幸せであってよい
私は幸せであることを望んでよい
私は幸せでいることができる
私は幸せであることを心から願う
私は幸せであるように考え、幸せであるように行動する
私は幸せでありますように
私の願いごとはかなえられてよい
私は願い事がかなえられることを望んでよい
私の願いごとはかなえることができる
私は願いごとがかなえられることを心から願う
私は願いごとかがかなえられるように考え、願い事がかなえられるように行動する
私の願いごとがかなえられますように
あなたがあなたのためにすることであって、誰かのためにすることではありませんので、誰かの目を意識しない方が良い効果が期待できるからです。
この瞑想を終えたときに、心が少しでも軽くなる感覚を感じたり、この瞑想を続けていったときに、人に対して少し優しく接するようになったと感じるならば、あなたには効果があったと考えてよいでしょう。
自分に許しを与えて自分に優しくできると、人にも優しくできるようになる、ということです。
それゆえ慈悲の瞑想は、まずは自分が幸せであることを願い実現することを目指します。
それならば「私は結婚できますように」でもいいんじゃないの?と思われるかもしれません。
「私は結婚できますように」ということを自分に語りかけると、「欲しいものが獲得できていない」という認知を強化し、結婚したいという欲求のみを刺激する可能性もあるからです。
先にお話しした『「好みのお相手」(にこだわること)が「(友達や親族に)自慢できるお相手をゲットした自分」「自分が誇らしく思えるお相手をゲットした自分」というイメージとともに生じている「願望」である場合』などには、「願望」と「願望」に対する欲求を強化する可能性も考えられます。
瞑想は「願いをかなえる」ために「自分がこのようになってゆく」「このように変わってゆく」ということに対しては効果的です。
しかし「私にはそれがない、それがあれば私は幸せになれる、だからそれが欲しい」という欲求を前面に押し出して瞑想を行うと、あまり良い結果は得られないようです。
瞑想によって心を静めることで、本来見えるようになるものが、欲求を前面に押し出すことによって見えなくなってしまうから、というのが理由であるようです。
それよりは「結婚したい」、「そのために何をしたらよいか」、「自分(の考え方や行動)で変わるべきところはどこか」と考えて、自分の考え方や行動を、結婚というゴールに向かうための「機能的な考え方」「機能する行動」へと変えてゆくことを考える方が成婚への近道のように思います。
慈悲の瞑想は「願いをかなえる魔法の言葉」のようなものではなく、自分の認知や考え方に働きかけるための論理性のある行為です。
瞑想は、自分が願う方向へ、自分を変えて自分を近づけてゆくための方法論です。その過程で「こうすればいいんじゃないか」という気づきを得ます。
気づきは、自分の外から自分の中に取り入れる「知識」ではなく、自らが生み出す「答え」です。そしてその「答え」を智慧といいます。
カウンセリングはスッキリするため手段
カウンセリングは、心のつかえをなくしてスッキリするための一つの方法です。
カウンセリングのお申込みはお気軽にどうぞ。
そもそも「心を軽くする」ための「カウンセリング」ですから。
5.2つ目は「お相手」についての「機能的な考え方」
あなたはあなたのために生きています
あなたは、結婚を、あなたのために望んでいます。
あなたが何のために結婚を望むのか、結婚に何を望むのか(結婚して何を得たいのか)ということもすべてあなたの望みから発しています。
たとえばご両親を安心させたい、という理由のために結婚を望む方もあろうかとは思いますが、それであっても『「両親を安心させたい」というあなたの望み』の実現のために、あなたは結婚を望んでいる、そして婚活をスタートさせたわけです。
結婚に何を望むかは人それぞれですが、結婚することによって、自分が失うものばかりであれば人は結婚しないでしょうから、結婚によって何かを得ることを期待して結婚する、と考えるのが妥当です。
お相手はお相手のために生きています
お相手も、あなたと全く同様に、自分のために結婚を望んでいます。
お相手は、お相手自身のために結婚を望んでいるのですから、お相手の考えや好みによって、お見合いの申し込みを受ける受けない、お見合いを申し込む相手を決めることができます。
断られたら自分が傷つく
傷つく、考えるだけで嫌になってしまいます。
断られて傷つくのはなぜでしょうか?
理由は2つ考えられます。
1つ目は、「断られた、自分は魅力的ではないのかな、婚活うまくいかないのかな、結婚できないのかな」と考えてしまうから、またはそのような考え方を想起してしまうからというもので、これは「機能的でない考え方」です。
この場合は、「お見合いを断られたからといって、私が結婚できなないことが証明されたというわけではないし、断られたことによって私の魅力がなくなる、ということではない」と考えるのが「機能的な考え方」であることはすでにお話ししました。
2つ目の理由は、自分の期待または希望が裏切られることに対する「持って行き場のない怒り」が理由かもしれません。
怒りは外部に向けられる場合は、ある程度処理できますが、外部に向けることができない場合、そのエネルギーが自分に向いてしまい、身体反応を引き起こしたり、自分を責めてしまう場合があるようです。
自分を責めてしまう場合、1つ目にあげた「断られた、自分は魅力的ではないのかな、婚活うまくいかないのかな、結婚できないのかな」という「機能的でない考え方」に陥ってしまう可能性があります。
しかし、です。
お相手は「あなたのために」結婚を望んでいるのではなく、お相手は、お相手自身のために結婚を望んでいるのですから、お相手の考えでお見合いの申し込みを受ける受けない、お見合いを申し込む相手を決めることが出来ます。
あなたはお見合いを希望して申込をしているので、「申し込みに応じてもらえてお見合いになるかも」と考えるのは当然のことですが、「申し込みに応じてほしい」という希望に「申し込みに応じるべき」という考えが混じってしまうと、断られたたときに、心の中で失望や怒りがわいてくるかもしれません。
希望的観測などといわれるように、人は期待・希望と現実を厳密に区分けすることをあまり好みません。
希望を描いてそこに進んでゆきたい=現実にしたい、ので、希望と現実を区分けするということはあまりしたくないのかもしれません。
ここでまたアドラーさんに登場していただきましょう。小倉さんの前掲書からです。
『あなたのために他人がいるわけではない。「〇〇してくれない」という悩みは、自分のことしか考えていない何よりの証拠である。』
こういわれれば、たぶん大多数の人が「その通りだろう」とおっしゃるでしょう。
とはいえ個人の想像の世界の中では、現実よりも希望が強くなってしまうことがあり、多くの人が知らず知らずのうちに、他者に対して「〇〇してくれない」という考えに陥ってしまいがちなようです。
断られても気にする必要はない
あなたがお見合いを申し込んだ人は「あなたのために結婚しよう」と考えている人ではありませんし、あなたと顔見知りでもありません。これから先顔を合わせる可能性も全くといっていいほどない人なのですから、あなたとは何の利害関係もありません。
断られても気にする必要はありません。断られたお相手は、自分のことを考えているだけで、少し悲しいですがあなたのことなんて考えていません。赤の他人ですから。
通りすがりのちょっと気になった人、くらいとでもいえばよいでしょうか。
断られることを気にしても、「損」をするのはあなただけです。
あなたはあなたのために生きて、あなたのために婚活をしているのですから、他の人が他の人自身のためにしたことで傷つく必要はないのです。
何のしがらみもないのですから「あなたはあなたのために」バンバンお申込みをして、断られたら別の方に申し込めばよいのです。
「自分のために結婚を望んでいる者同士」
最初は見ず知らずの「自分のために結婚を望んでいる者同士」が出会って、お互いに好意を抱き、理解し、さらにより親密になることを欲して、相手の考えや希望に耳を傾け、自分の欲求も大事にしつつ、相手の欲求も大事にしてゆくため、結婚生活の考え方を共有できるようになることが、成婚の前提となるのではないでしょうか。
100%理想的ではなくても「結婚生活ってこういうもの」という理解があれば、大半の人にとって、それは難しいことではないでしょう。
お互いの「結婚生活ってこういうもの」という理解は当然多少の違いはありますから、すり合わせを丁寧にしてゆけばそんなに外さないと思います。
ここから先は、婚活ではなく結婚後のことになりますので、今回のブログはこれで終わります。
結婚生活に関する相談、カウンセリングも承ります。
あなたが幸せでありますように
あなたの悩み苦しみがなくなりますように
あなたの願いごとがかなえられますように